その日、慶應義塾の講堂には、冷たい北風を押しのけるほどの熱気が立ちこめていた。
高座の上には、例のごとく目をぎらりと光らせた一人の男。
福沢諭吉、御年五十路を迎えるも、その声の張りと文句の切れ味ときたら、若い門下生すら舌を巻く。
「諸君、学問とは、貴族の飾りでも、商人の道具でもない。己の身を立て、人の役に立つ、それが学問の本懐じゃ」
と、例によって語気鋭く言い放ち、黒板を板書のチョークが滑る。
しかしこの日の諭吉先生、いつもとどこか様子が違った。
チョークを持つ手が、ややふるえている。
時折、頭をかく。
「……えー、ここのところ、少し記憶が怪しいが……まあよい!」
生徒たちはクスリと笑い合う。どうやら、先生、講義ノートを忘れたらしい。
さて、福沢諭吉といえば、「天は人の上に人を造らず……」の名言で知られる一方、意外と“そそっかしい”ことで有名でもある。
それはある日、出版された自身の著書『学問のすゝめ』に、誤字があったときのこと。
「知識を磨け」という意味で「智を開く」と書いたはずが、印刷された本には、なんと「痴を開く」とある。
痴とは“おろか”の意である。
門下生があわてて指摘すると、福沢先生はしばらく沈黙したのち、ぽつりとこう言った。
「うむ、それもまた、学問の入口かもしれぬな」
一同、爆笑。
諭吉は笑って肩をすくめた。
「知に至るには、まず己の痴を知ることじゃ。恥ずかしいが、これも勉強のうち。すぐに次版で直すとしよう」
この話、いささか美談に仕立てすぎたかもしれぬが、実際、福沢諭吉という人はそういう人物であった。
博識にして実行家、威厳とユーモアを併せ持ち、完璧主義に見えて、その実「ま、しかたない」と笑える心の余裕もあった。
門下生の一人が、ある時失敗をして深く落ち込んでいるときも、
「失敗したということは、ひとつの“動いた証拠”である。なにもしなければ、失敗もせんのじゃ」
と、膝をたたきながら茶をすする。
かくも人情味あふれる教育者が、この国の近代の扉を押し開いたのだと考えると、
「学問のすゝめ」の文面も、どこか人の温もりに包まれて見えてくる。
このお話を読んで、「あの福沢諭吉にそんな一面があったのか」と
ふっと笑ってくださった方へ
実は、この「偉人たちの素顔帖」はまだ始まったばかりです。
これから第2話、第3話と続く中で、私たちがよく知る歴史上の人物たちが、教科書では語られなかったちょっと人間くさい横顔をそっと見せてくれることでしょう。
どんなに偉い人にも、忘れっぽさや照れくささがあったり、逆に思いもよらぬ優しさや情熱が垣間見えたりします。
このシリーズでは、そんな**“素顔の偉人たち”**に、静かに出会っていただけたらと願っています。
第2話では、あの野口英世を取り上げる予定です。
天才の影に潜む、ユーモラスで、そしてちょっぴり切ない物語をお届けします。
次回も、どうぞお楽しみに。
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